ママ☆ななの ひとりごと日記

24年前の今日、御巣鷹のあの日

あの時、あたしは中三で
藤岡市民で
母校の体育館は遺族の待機所で。

臨時ヘリポートになった第一小の校庭は使えないほど、ボコボコになり
遺体安置所になった公民館周辺はすごいことになってた。
小さな市街地は澱んだ空気に包まれていた。

ニュースも見ていたし、もう幼くもなかったから
そこで何が起きていたのか、想像することも出来た。

10年近く過ぎ、あたしは群馬県警察に籍を置いた。





当時の警察学校長は『墜落遺体』を執筆された飯塚訓警視正。

講義で日航機墜落事故の際の
捜索現場や身元確認現場での話を伺い、
表には出されてない写真なども見た。

衝撃で圧されてしまったらしく、一つの頭部に眼が4つあった御遺体
結婚指輪を填めた左手薬指だけの御遺体
身体の中に子供が半分埋まっていた親子の御遺体


一線署に配属されてからは
実際に木を切り倒して現場へ向かった、当時機動隊員だった先輩のリアルな話も聞いた。

急斜面過ぎて仮眠も取れず、樹の股に跨がって寝たこと
あまりの被害の大きさに、捜索班の食事を忘れられ
丸一日飲まず食わずだったこと
火災の余熱で編上ブーツの底が溶けかけたこと


あたし地元民は
ずっと語り継がなければならないのだろう…

そして、現地で神流川に流された精霊流しは
途中の下久保ダムで留まって、
あたしのうちの近くを流れる神流川には届かない。
当然、千葉県にも。


胎児1名を含む521柱の御霊よ、安らかに
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