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ママ☆ななの ひとりごと日記

あの日・・・・・

Excite エキサイト : 社会ニュース

当時あたしは、藤岡市内の中学校に通っていました。
そして、ご多分に漏れず、母校の体育館は遺族の待機所になっていました。
当時の市内は、町中に異様な空気が漂い、死臭の消えない空間でした。
ご遺体の安置所となっていた体育館は、重みなどで床がたわみ、ベコベコになっていたそうです。
ヘリの発着所になっていた小学校の校庭は、使い物にならなくなり、
ご遺体が家族の元に帰られてから、多額のお金をかけて整備し直されました。
そのお金は、日本航空から出た謝礼金(?)だったのですが、
「金目当てに引き受けたんだろう!」などと、心ない中傷を受けたこともあったようです。

そして、10年ほどして警察に勤務することになり、
捜査側の視点による日航機事故に触れることになりました。
警察学校中に、必ずこの事故のことには接するのですが、
その授業の際、映像を直視できないばかりか、
嘔吐してしまったり、失神してしまう者がいるのだそうです。

あたし自身は、もう自分のことだけで精一杯でとても周りには気が行きませんでしたが・・・。

もう、本当にすさまじい現場だったようです。
一報が入り、現場に駆けつけようにも道がない。
木を切り、ひたすら徒歩で現場へ向かう。
現場周辺には被害者の方々の体の一部が、木に引っかかっていて・・・
足元の地面は、まだまだ炎で熱を持ってくすぶっていて・・・・・
出る時には弁当を持たされるものの、その後1日食事が届かない。
本部もそこまで手が回らなかったそうですが・・・。
休憩を取ろうにも、急斜面で寝る場所すらない。
木の股にまたがって、幹にしがみつくようにして1時間ほどの仮眠を取りながらの
救出作業だったそうです。

現場の細かいことはとても書けません。
ショックを受けてしまう方々が少なからずいると思われるので・・・。
興味がおありの方はこちらがお勧めです。

あたしが警察学校に入っていた時の学校長で、
日航機事件の捜査担当者だった飯塚訓さんの著書です。
格好つけない、穏やかで話の面白い方でした。

映画『油断大敵』の原作者。と言った方が通りがいいかもしれませんね(笑)
TVに出たお姿は、10年前とほとんど変わっていませんでした。
お元気そうで何よりです。
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